「秋は来ぬ」

 ドラマ「こち亀」の収録が終わり、同時に、映画
「交渉人」の撮影も終わり、暫く暇な身となる。
 とは言ってもテレビ・シリーズの「交渉人2」の撮
 影が始まってるんだけどね。でも出番が少ないから
 1話に付き2・3シーンだろうし、したがってたまっ
 ている本も読めるし、録画した映画も・・・映画。

 突然
 朗報が入った。
 10月10日 全国封切りの映画 太宰治・原作
「ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜」
 監督・根岸吉太郎が、カナダのモントリオール映画
 祭において監督賞を受賞したという。「おくりびと」
 につづいて2年連続での日本映画の賞取り。素晴ら
 しいじゃありませんか。
 あの東宝撮影所のセットで、連日、深夜まで粘っ
 て撮影した甲斐がありました。私なんぞは体力が持
 たなくて、建てっぱなしのセットのその日に使わな
 い建物の暗がりで寝転がらせて頂いておりましたが
 まさに日本人の心の琴線に触れる映画です。是非
 とも多くの人々に観てもらいたい・・・と宣伝した
 ついでに、その太宰治のヴィヨンの妻を、私なんと
 朗読してしまい、CDで新潮社から発売されたので
 す。74分40秒 一人でやってます、当たり前で
 すが。映画は原作も取り入れながら、名手・田中陽
 造が素晴らしい脚色でシナリオ化していますが、朗
 読版は原作を一字一句忠実に表現しておりますれば
 皆々様に是非ともお聴き頂きたい・・・と宣伝したとこ
 ろで。
 えーと、ちょっと暇になったからどうすっか、と
 いう話ですね。村上春樹の「1Q84」も読まない
 といかんし・・・。しかし、やはり旅だろう。で、

 こんな時こそいい機会だと、我妻の母君を温泉に
 でもお連れしようと思いたってしまった。以前から
「お母さん、八十過ぎだし、足腰もだいぶ弱って来
 てるし、今のうちに何処か連れて行ってあげたい
 のよね、近場でもいいから」
 と、我妻に言われていたのだ。
 10数年前に、上海・桂林にお連れした。
 上海では、無類のさかな好きの母君としては、海
 鮮料理を連日堪能して、満足の様子だった。が、気
 にいらない事がひとつあったらしい。
 一緒に行った妻から聞いたのだが。
「このホテル、古いわね・・・」
 と一言ぼそっと妻に言ったらしいのだ。
 裏目にでたか。上海灘が目の前のこじんまりした
 格式あるレトロなホテルを取ったのだが。我が娘と
 姪っこと母君3人が寝るので、大きめの部屋にした
 のだが・・。台湾にお連れした時の市内を見下ろす
 広大なテラス付きの圓山大飯店は満足してたのに。
 奈良ホテル・箱根富士屋ホテル・日光金谷ホテル、
 あたりに連れて行っても同じ事言うんだろう。鹿児
 島の雅叙園という趣のある日本家屋の宿に泊まり、
 放し飼いの鶏や薪で炊いたご飯に感動してたら
「うちの近所とたいして変わらん」
 と、一言で片付けられた事もあった。
 上海から桂林に移動して
「お母さん、桂林はまだいいホテルがない場所です
 から、あまり泊まるところは期待しないで下さい」
 と、釘をさしておいたら、どうということのない
 大きなホテルで吹き抜けに当時は珍しいガラス張り
 のエレベーターが付いてるのが高級感を与えている
 程度のものだったのに
「まあ、きれいな、すてきなホテルだわね」
 と、感激されてしまった。
 趣味が違う人を満足させるのはむずかしい。
 船下りで左右を流れる山水画のような景色を堪能
 していただこうと舟に乗せたら、足がよくないから
 と、上のデッキには昇らず、景色の見えない下の椅
 子に座っていらっしゃるし。
 旅の間中
「買い物はどこでするんね・・・おみやげを買わな
 いといかん」
 と妻に囁いていたらしい。
 桂林の土産物屋にお連れしたら、ご近所に配る土
 産を大量に買いもとめ、記念にと山水画の掛け軸を
 眺めているので
「それ、買わないほうがいいですよ。観光客相手の
 ろくでもない絵ですから」
 と言いたいのをぐっと堪えて、心配げに見ていた
 ら、売り手の一見品のいい白髪白髭のいかにも老人
 にまるめ込まれて、買ってしまわれた。去年、仕事
 の合間に立ち寄ったら、その時の掛け軸が床の間に
 飾ってあった。

 さて今回は、その母君を温泉にお連れする。他に
 我妻と妻の妹、男ひとりに女3人という旅だ。
 そして世の中は9月の連休のまっ只中。
 妹が行ったことが無いという、世界遺産でもある
「厳島神社」はどうかとなり、あそこの近くにある
「S」旅館なら間違いなく満足するだろうとなり、
 駄目でもともとと電話したら、さっきキャンセルが
 出て2部屋ならお取りできますと、まことに幸運な
 展開となりで、広島待ち合わせ1泊2日「厳島神社
 と温泉」の旅が決まったのだ。
「あっ、お母さん、あなご、駄目かも・・・」
 妻が、突然、思い出したように言う。
「だって、うなぎ食べられないもの」
 「S]旅館は、あなごで全国的に有名な宿だ。
「じゃあ、一人前だけあなごをはずしてもらうよう
 に電話しとかないと。足の具合はどうなんだ、船
 で厳島神社に渡ったら、本殿まで結構歩くよ。タ
 クシーも島に数台しかないだろうし、レンタカー
 で渡っても駐車場がないんだよ、島自体が聖域だ
 から・・・」
「そうなのよね。ゆっくり歩けば大丈夫なんじゃな
 い。お昼は島に渡ってからよね。あそこがいいん
 じゃない、ほら、お蕎麦食べた、あそこなら離れ
 てるところにあるから観光客も少ないし」
「そこまで歩けるかな、結構あるぞ」
「あ、そうね、うーん無理だわね、他に何処か美味
 しいところある?」
「牡蠣にはまだ早いし、ほとんどあなご飯の店だか
 らなあ。旅館の朝飯が凄いから、かるく蕎麦ぐら
 いがいいだろうし」
「私は朝は食べないんだから、お蕎麦だけの店はい
 やよ」
「旅館で聞いたら何処か良い所を教えてくれるだろ
 う。ただし、あんまり期待するなよ」
「わかってるわよ。それと、おみやげ買うのが楽し
 みなんだから付き合ってあげてね」

 いよいよその日がやってきた。
 新幹線で広島に向かう。
 窓外を流れる家並みや森林が光り輝く秋晴れだ。
 母君と我妻の妹は小倉から乗り込み、我々と広島
 駅で合流する。お昼の12時半頃になる。
「昼飯をどうするかな。夜のご馳走を美味しく食べ
 るには軽いもんで済ませたいけど・・・」
「広島って何がおいしいの、イメージ湧かない」
「お好み焼きかな」
「嫌よ、焼きそばが入ってるんでしょ。お蕎麦はど
 うなの、おいしい所あるの」
「蕎麦ね、関西より西だから、うどんのほうが無難
 じゃないかな」
「うどんは駄目よ、一休のうどん食べ慣れてるから
 おつゆが合わないと思うわよ」
「はいはい、さば出汁文化の人には、瀬戸内のじゃ
 こ出汁は口に合わないかもな」

 相変わらず食べ物の話が多いです、が食欲の秋と
 いうことで、天高く馬肥える秋ということで。

 無事、広島駅で合流。
 母君の足の具合を考慮して日陰に3人を残し、歩
 いて2分のレンタカー屋に。これが裏目に出て、駅
 構内に入るのに、連休ゆえ車が長蛇の列でなかなか
 進まない。こんなことなら全員で歩いてレンタカー
 屋に行った方がよかった。

 1時近くになってしまった。
「お昼は、蕎麦でいいですか」
「なんでも結構ですよ」
 インターネットで検索しておいた3件の蕎麦屋の
 うち、1軒の蕎麦屋のアドレスをカーナビに呼び出
 して市内に向かう。
 選んだのは、出雲蕎麦の店。他に石挽き蕎麦と更
 科系手打ち蕎麦の店も調べてあったのだが、失敗し
 ても割り子蕎麦という出雲独特の形式で食べるのは
 体験としても面白いという読みで選んだのだ。
 店の前で3人を下ろし、注文しといてと妻に言っ
 て近くのパーキングへ車を止めに行く。
 店に入ると客はまばらで、いや、まずったかなと
 思いながら席に着く。
「私はおろし蕎麦、お母さんはざる蕎麦で・・・」
「えっ、割り子蕎麦、頼んだんじぁないの」
「割り子蕎麦ってなんだっけ」
 我妻の学習能力の無さは、何十年付き合っていて
 も慣れない。一緒に2回も出雲に行って、その度に
 割り子蕎麦を食べているのに。
「お母さん、割り子蕎麦を食べてみませんか、この
 店は出雲蕎麦が売りなので」
「なんね」
「ああ、割り子蕎麦ね。ここに書いてあるじゃない
 の、やだ、気が付かなかった」
 お品書きの一番最初に載ってるだろうが・・・と
 俺は心の中で罵る。
「すみませーん、全員、割り子にして下さい。3枚
 ずつ、あっ一人分4枚に・・いや、3枚でいいで
 す、夜があるんで」
「この絵、可愛い」
 妻が壁にかかった絵を見て叫んだ。
「ああ、山下清か。こんな所まで来てるんだ」
「どうして山下清ってわかるのよ」
 我妻の視野の狭さには、何十年連れ添ってても慣
 れない。となりに山下清と御主人らしき人の2ショ
 ットの写真がかかってるだろう。
 
 割り子蕎麦
 3段に(4段でも5段でも好みでいいが)重ねら
 れた丸い塗りの器が出てくる。わんこ蕎麦より多め
 の蕎麦が入っていて、それぞれの蕎麦の上に具が乗
 っている。今回は、山菜ともみじおろし・なめこと
 もみじおろし・山芋の擂ったのともみじおろしだ。
 1段目に直接つゆを「のの字」に回しかける。食べ
 終わったら、残った1段目のつゆを下の2段目の器
 にかける。足らないようなら新たなつゆを足しても
 かまわない。男なら5枚は欲しいところだろう。

 この出雲蕎麦が受けた。母君は、盛んに美味しい
 を連発して食された。
「ちょっとお蕎麦がやわらかいわね」
 うるさい。細かい事言うな。お母さんが満足して
 るんだからいいだろう。俺だって相当気を使ってる
 んだ。インターネットで半日かけて広島・宮島の旨
 い蕎麦屋を検索してるんだ。本当は山の方に滅法旨
 いらしい蕎麦屋があるが、土・日しかやってないと
 いうんで残念だったんだ。俺としてはお好み焼きで
 もよかったんだ。うどんも食べてみたかったんだ。
「それじゃあ、道が混んでると思うので宿の方へ
 向かいましょう、うまくいけば1時間で着くと
 思います」

 途中、渋滞はあったものの無事に宿に到着。
 我々は2階の部屋に、母君たちは離れの1・2階
 露天風呂付きの部屋におさまって頂き、
「まあ、こんな広いところに、ここに4人で泊まれ
 ればいいでしょうが」
 という母君に
「この連休に10部屋しかないうちの2部屋取れて
 幸運でしたよ、1部屋いくらじゃなくて1人いく
 らですから狭いより広いほうがいいでしょう、ま、
 ゆっくりして下さい。とりあえずお風呂に入りま
 しょう。夕食前に庭園を散歩して・・・」
「そうね。お母さん、ここのお庭がいいのよ」
 と、妻。その妻は知りすぎるほど知っているが母
 君は知らないのだ、俺のいびきの凄さを。
 それぞれ温泉に浸かり、部屋で一休みして、庭園
 の宿と銘打った庭を散策する。この宿に泊まる度に
 感心するのは、常に変化していることで、今回は露
 天風呂の奥に総檜作りの風呂が新しく設えてあった
 し、庭園に数箇所ある東屋のひとつが趣味のいい図
 書室に変化していたり、置いてある椅子や家具の趣
 味が実に素晴らしい。一部屋一部屋それぞれ違う造
 りで、部屋に備えてある本やCDはご主人の選んだ
 もので、その趣味の良さが気持ちいい。
「お母さん、見て、ほら、鯉よ」
「ほんとね、よおけえおるね」
「あら、ここって前は吹き抜けだったのに・・・」
「お姉ちゃん、これ見て」
「ね、いいでしょう、まだ一度も御主人にお会いし
 てないけど置いてある本見ればその人の性格が分 
 かるのよ」
「あそこは、なに」
「あなた、あそこってなんだっけ、離れだっけ」
「あれは茶室だろう」
「お母さん、茶室覘いてみる」
「いや、ここで休んでいるから、あなたたち行って
 きなさい」
 そうだった。母君は足が疲れているのだ。明日の
 厳島神社は大丈夫だろうか。ところが、その心配が
 杞憂に終わる。それも、この宿のご主人のはからい
 で。

 夕食は、畳の部屋にテーブルと椅子を設えて頂い
 て、4人で和やかに会話しつつ、美味しいご馳走を
 充分に堪能した。特に、おこぜの姿造りには全員が
 感動した。そして驚いた事に、あなごの料理が出て
 母君だけ鯛の料理に代わっていたが、妹が「お母さ
 ん、ちょっと食べてみる」と勧めたら、箸を付けた
 途端
「美味しいね、なんこれ、あなごね」
 と満足そうに腹におさめたのだ。さらに最後に出て
 きたあなご御飯を茶碗一杯食べて。うなぎは駄目だ
 が「あなご」は食べられるという新発見は、この旅
 の思わぬ副産物だった。

 翌朝。
 見事な青空が広がっている。
 のびのびと朝風呂に浸かり、永平寺の修業僧なら
 1週間分はあろうかという充実の朝飯を食べ、小休
 止して、さあ安芸の宮島へいざ向かわんとチェック
 アウトを頼むと、「厳島神社まで向かう国道が大渋
 滞で、まともに行けば相当時間がかかるので、主人
 が自ら先導して裏道を行きますから、他のお泊りの
 お客さんと一緒に10時に出発して頂きます」とい
 う宿からの親切な申し出があり、荷物を下ろしロビ
 ーで待っていると、
「厳島に行かれる方は、そろそろ御準備を・・・」
 と、主人らしき人が声を掛けて来た。
「やはり、相当混んでるようですね。駐車場も満杯
 でしょうね」
「うちの宮島の店に駐車出切るよう確保してありま
 から。私が先導して3台一緒にまいりますので」
「あの、厳島に渡ったら、タクシーとか今日は無理
 でしょうね」
「今日は難しいと思います」
 その時、ふと閃いた。あれだけの観光地だ。ひょ
 っとしてあるかもしれない。御主人に聞いてみる。
「人力車は無いんですか、ひとり足が悪い者がいる
 ので・・・」
「わずかな数ですけど有りますよ・・・今、連絡し
 てみます」
 御主人は、暫く携帯でやり取りしていたが
「船に乗る時に、この携帯に連絡して下さい。向こ
 うの船着場で待機しているそうですので」
 と、携帯番号と名前の書いたメモが差し出された。
 なんという幸運。いや、御主人の人脈の広さだ。
 駐車場の件といい、この宿にしておいて助かった。
 3組それぞれの家族連れが、それぞれの車に乗り込
 んだ。
「では、出発します」
 車はカーナビにも載ってないような道を走り、殆
 んど渋滞に巻き込まれず宮島口に着いた。
「あの御主人、ちょっと想像してたのと違ったわ」
「落ち着いていて、品があって、押し出しが強くな
 いのがいいね」
「そうなのよ、でもあの趣味の良さからして、もっ
 と、何ていうの、着てるものも普通だし」
「いかにもっていう感じじゃないとこが凄くいい」
 などと妻と話しながら乗船口へ。乗船時間が分か
 ったので、頂いたメモの番号に電話する。
「わかりました。お待ちしてます」
 と、元気のいい声が返ってきた。

 乗船して、超満員の観光客と共に厳島神社に向か
 う。これは、着いたら物凄い人波だぞとうんざりし
 ながら
「もうすぐ大鳥居の近くを通りますから」
 と言っていると
「本日はご乗船頂きましてありがとうございます。
 ただいま満潮のため大鳥居には近づくことが出来
 ません。ご了承下さい」
 というアナウンスが流れる。あっという間に到着。
 観光客と一緒にぞろぞろ歩いて改札を通り、船着場
 の広場に出る。
 と、一台の人力車が佇んでいる。がっしりとした
 黒塗りの人力車。そして筋肉質の車夫が横に。
 その車夫を見て驚いた。
 頭にちょん髷を結っている。それも紛れも無い本
 物の地毛である。髷を潰したくないないので笠を被
 らないせいだろう。赤銅色に日焼けした顔で凛と立
 っている。
 まさか、あの人力車が、いや、他に人力車は見当
 たらないし、だとすれば、こりゃ相当目立つな。
「あのう、先ほど宮島口から連絡した・・・・」
「あっ、お待ちしていました」
「いや、助かりました。よろしくお願いします」
「それで、3人まで乗れますけど、どう致しましょ
 うか」
 すると母君が
「まっ、恥ずかしい、あんたたち乗りなさい」
 と言い出した。こんなところで躊躇されてる場合
 ではない。まわりの観光客の注目の的になっている
 し、外人観光客などは「ワンダフル」とバシバシと
 写真を撮りまくっている。妻が慌てて
「お母さん、早く乗って。かよこと二人で、いいか
 ら、神社までまだ大分行かなくちゃあいけないから
 歩くと疲れるから」
 と説き伏せるて座らせる。
「じゃ、とりあえず参拝入り口までお願いします。
 そこで待ち合わせという事で」
 と歩き出そうとすると
「あ、道々案内しながらゆっくり行きますから御
 一緒にどうぞ」
 と言われてしまい、衆目の視線を浴びながら・・・
 我々4人の厳島神社参拝の旅が始まったのである。

 結論から言って、この人力車のおかげで、後々
 母君にも喜んで頂ける良い旅が出来た。
 車夫は、ポイントに来ると歴史や由来を披露し、
 撮影に適した所で車を止め、焼きたてのもみじ饅頭
 を勧め、人ごみを避けて静かな路地を案内し、参拝
 が終わるまで出口で控えててくれて、当初の目的の
 食事所への急な坂道をハアハア言いながら登り、母
 君が「ここのお蕎麦もおいしいね。まあ、うちの近
 くには(福岡の田舎)おいしい蕎麦屋がないんよ」
 と喜んでくれた昼食を頂き、再び人力車で町を巡り
 、最後にもみじ饅頭屋の前で下ろしてもらい、髷の
 車夫に別れを告げ、饅頭12箱を土産に買い、「他
 の店も見てみますか」と聞くと、あまりの人ごみに
 臆したのか「いやもう・・・」と応えたので、いざ
 帰りなんと広島駅に向かい、つつがなく1泊2日の
 旅を終えることが出来たのだ。

 だが、私的には、なんだか疲れた。
 旅をした気がしない。心象風景として残ったもの
 がひとつもない。唯一残ったものといえば、宮島で
 慌しく買った「桑のしゃもじ」だけであった。
 このままでは、何だか悔しいような、やり残した
 事があるような、刑務所から久し振りに娑婆に出た
 のに酒・煙草・女がないという状況のような。
 
 よし。口直しの旅をしよう。それも、一人旅を。

 という訳で、ひとり、信州に向かったのだ。
Date: 2009/10/13(火)


「バカンス」

夏、まっ盛り。
朝4時に、せみに起こされる。
寝床で小1時間ほど本を読み、朝のニュースを
ざっと見て、台所に立ち、ねぎ、しそ、みょうが
を刻んで、しょうがを擂りおろして、今日もまた
そうめんだな。
朝7時だというのに、すでに日差しは強烈だ。
 
ベランダのベンチに寝転がり、台本を読む。
蚊に刺される。かなぶんが飛び回り、ありが腕
を這い、みんみんぜみが頭上で鳴いている。

現在進行中の仕事は「こちら葛飾区亀有公園前派出所」
通称「こち亀」という長期連載人気まんがのテレ
ビ・ドラマ。役柄は大原部長。明るく、楽しく、
和気藹々と撮影しているのだが。
なにが辛いといって、昼間のロケは地獄だ。
衣装は全編これ。。制服・制帽・完全装備着用。
拳銃・無線機付きベルトを締め、上着を羽織り、
右ポケットの内側から拳銃を外に出して、左ポケッ
トの内側から無線機を出して、上着の前ボタンを
留める。こうして装備すると、上着は簡単には脱げ
ない。その扮装でロケ現場に立つ。
木陰ひとつない川沿いの草原。真上から強い日差
しが容赦なく降り注ぎ、風はそよとも吹かない。と
いう状況を想像してみて欲しい。
制帽の中は汗の水溜りが出来ている。背中、腋の
下、内股から止め処なく汗が噴き出している。こん
な時、声を出して思いっきりこう叫びたい。
「うー、くそ暑い、なんとかしろー」

今までの夏の撮影で死ぬかと思ったほど凄かった
のはなんだろう。
ゴジラ。あの時は宇宙人の役だった。空気も通さ
ない素材の厚手の首まで全身すっぽり包まれた衣装
で、一度着ると他の装備も付けると脱ぐのが大変
なので、じっと我慢して撮影に臨んだが、意識が朦
朧として、ここは何処、わたしは誰、状態だった。
いや、もっと凄いのがあった。
マグマ大使。あれは17歳の夏だ。夏休みのデパ
ートの屋上でのイベント。バイトにしてはギャラが
いいから喜んで引き受けたが、まさに地獄を見た。
控え室で、マグマ大使のぬいぐるみに足を入れ手を
いれて頭をすっぽり被せた瞬間、物凄い悪臭につつ
まれた。饐えたにおい。運動部の部室。そんなもん
じゃない。腐りかけた靴下。なんだかもう物凄く臭
い。くらくらして、吐き気すらこみ上げてくる。し
かし、ここで断るわけにもいかず、やたら重いぬい
ぐるみを着て、せまい階段をなんとか上り、特設舞
台で打ち合わせどうりに悪者達を叩きのめし、夏休
みのガキどもから拍手声援をあびて、ゆうゆうと退
場しながら階段を降り始めた瞬間、ドウっと頭から
地べたに倒れこんだ。はやい話が、こけた。吉本の
お笑い芸人ならともかく、マグマ大使がこけるとは
。あれは、大量の汗をかき、ひや汗もかいたという
ある夏の記憶から抹殺したい出来事だった。
それから、明治ものの撮影。フロックコートを着
て、馬車の客室に乗せられて・・・。
きりがない。こうしてみると、結構つらい現場が
数々あったんだな。
真夏の炎天下のロケーション。撮影をしながら、
ふと思う。
「つめたい水に飛び込みたい」

というわけで、沖縄に飛んだ。

○月×日
那覇空港に到着。レンタカー会社の送迎のバス停
に向かう。強烈な南国の日差しだが、都会のむしむ
ししたうんざりする感じではない。
昼飯は「島菜」で野菜入りそば、ゆし豆腐、はん
だまの白あえ。沖縄中部にある「A」ホテルに向け
て出発。
途中、金武のマーケットで、きゅうり・ねぎ・お
くら・島らっきょうを調達。沖縄料理に飽きたら部
屋で作って食べる日本蕎麦・ソーメン用の食材。
チェック・インして、部屋のクロークに衣類を収
め、何はともあれプールへ。
ざんぶと飛び込み、ひと泳ぎ。
プール・サイドで生ビール。
これぞ、バカンス。
夕食はプールの見えるテラス席で。
・たらば蟹とアボガドのカクテルでシェリー酒を。
・鱸のぱい包み焼で白ワイン。
・地鶏のトマトソース煮込みで赤ワイン。
 これぞバカンスの贅沢。

○月△日
沖縄の日の出は遅い。東京では4時半には日が昇
るが、6時近くになってようやく空が明るみ始める。
夜明け前に起きてしまい、そっと部屋を出てガー
デンテラスのチェアーに座って、妙な事に気がつい
た。昨夜点けた蚊取り線香の燃えカスの灰がきれい
になくなっている。風で飛んだのか。その近くに、
黒い物が落ちている。それが・・・少し動いた。う
ん、なんだ。とじっと見ていると・・・黒い塊は、
丸い形から、楕円形に変化した。生きている。目も
口も触覚もない、まっ黒い、直径6センチの生物。
なんだ。蛭か。かたつむりが殻を捨てた。なんなん
だ、こいつ。しばらくジッと観察する。実にゆっく
り動く奴だ。さすがに飽きてしまい一服して部屋に
戻る。夜明けの太陽が完全に姿を現したころ、もう
一度テラスに出て、あたりを探したが、やつの姿は
跡形もなく消えていた。

と、毎日の出来事をだらだら報告してるのもなん
だから。

プールサイド・人間観察考。
 
一組のカップルが、デッキ・チェアーに並んで寝
そべっている。脇には巨大な浮き輪が二つ並んで置
かれている。女はつば広の帽子を被り、白い長袖の
綿シャツを手首まで下ろしている。そして男は、と
てつもなく声がデカイ。声帯および横隔膜が人並み
外れて発達しているのか、響く。しかも低音で響く
。シェークスピアのオセローでも演じさせたら、声
だけで観客を魅了するだろう。さらに、体もでかい
。顔もでかい。牛の鳴き声を思い浮かべていただけ
れば判りやすいだろう。それにしても、めったにお
目にかかれない声の持ち主がいたもんだ。俺は密か
に「牛男」と名付けた。
しかし、あの浮き輪が気になる。
16歳以下は泊まれないこのホテルに不似合いの
物体だ。ふたりともカナヅチなんだろうかと気にな
っていたら、暫くして、ふたり揃って浮き輪をプー
ルに浮かべて、浮き輪にすっぽり入り、並んで泳ぎ
出した。
俺はデッキ・チェアーに寝転んで、サングラスの
影から観察していたが、再び本をひろげてまどろみ
始める。
時おり「あうっ」とか「うーむ」という重低音が
聞こえる。その途端、隠岐の島で島民が教えてくれ
た言葉を思い出した。
「牛は泳ぐんですよ」

30代の男がひとり、イヤホーンで音楽を聞きな
がら寝そべっている。その男が、プールサイド脇の
ラウンジにいる女性スタッフに声をかけた。しばら
くして大振りのジョッキに入った生ビールが運ばれ
てくる。
もう何杯目だ。この男、プールが開く8時に現れ
、チェアーに座ると同時に、朝飯も食べずにビール
を注文した。そして1時間と経たないうちにおかわ
りをした。リゾートを充分過ぎるほど満喫している
男だ。「ビールマン」と名付ける。

初老の男が、少し歳の離れた妻と思しき女性をプ
ールサイドに立たせて、写真を撮っている。一枚撮
るごとに注文を出し、女性にポーズを付けている。
例えば、両足揃えて両手を大きく広げさせて、パ
チリ。次に女性が片足を前に出して腰に手をやった
ら、「それは、いかん、いかん」と違うポーズを付
ける。のだが、そのポーズのひとつひとつが、どう
見てもけして美しい姿形に見えず、どこが良いのか
さっぱりわからない奇妙奇天烈なものなのだ。 
プールサイドのスタッフが「お撮りしましょうか
」と声を掛けても「いや、いいっ」と二人だけの世
界に浸っている。「へぼ山鬼神」と名付ける。

老人がひとり、プールの女性スタッフを捉まえて、
「記念に」と撮影している。それも、1,2枚なら
ともかく何枚も。20代の沖縄的エキゾチックな顔
立ちの健康娘を撮りたい気持ちは分かるが、まずカ
メラで撮り、次に携帯を取り出し写メを撮りで、女
性スタッフも笑顔を絶やさず対応しているのが偉い
もんだ。今度はそのスタッフに自分を撮ってくれと
カメラを渡し、一枚撮られる度にカメラの再生ボタ
ンを押し、肩を並べて確認し合っている。
ひとり旅の老人を、ヨーロッパ辺りのリゾートで
よく見かけるが、もう少し落ち着きのある、粋な老
外人が多い。そういう老人を見るたびに、俺もいつ
か悠々自適なひとり旅をと憧れるが、この爺さんは
せわしない、臆面もない、上背もない。

他にも、3時間夫婦揃って身じろぎもせず爆睡し
ている中年カップルや、足だけプールの水に浸かり
ながら、傍のチェアーに座る母親と会話している若
いお嬢さんや、いろんな人間がそれぞれのリゾート
を楽しんでいるもんだ。若いカップルもいるが、大
抵は短時間プールサイドにいるだけで、観光に出かけ
ていく。あるいは夕方になると姿を現し、キャアキ
ャアいいながら泳いでいる。
だから、20脚しかないデッキチェアーが満席に
埋まることなく、静かにのんびり出来てありがたい
のであるが。

今回の沖縄の旅で、もっとも印象に残ったのは、
ある小さな島に渡り、そこで聞いた不思議な話しだ
った。

神々の島「久高島」
神無月という陰暦10月。日本全国の神さま達が
出雲に集まる。その前に、この久高島にお集まりに
なってから出雲に行く、という小さいながらもパワ
ーのある島に2年振りに渡った。
今回、島を案内してくれたのは、「ノロ」という
神に仕える女性だったので、道々興味深い話が聞け
た。出雲の前に久高島に神々が集まる話も、彼女か
ら聞いたのである。
存在感のある女性であった。久高の港に着いて、
乗船券売り場の待合室で、あまりの暑さに「氷ぜん
ざい」をかきこんでいると、「お待たせいたしまし
た」という声がして、振り向くと、そこに、にこや
かに笑顔を浮かべた白髪の凛とした女性が立ってい
た。歳は私より上であろう。はきはきとした物言い
の姿勢のいい女性である。
彼女の運転する年代物の小型車に乗り、島めぐり
へと出発。
「ここで降りましょ」
舗装されていない細い道を歩く。左右には低い森
が続いている。
「蝶々さん、おいでおいで・・・はい、そうそう、
羽ひろげてみせて・・・おーきれいきれい、はい
ありがとう」
と、道案内しながら、蝶に声をかけて歩く。
海の突端に出る。不思議な潮の流れだ。ある所を
境に違う方向に潮が流れている。ここも神に祈りを
捧げる神域だという。
「お魚さん、出ていらっしゃい、こっちこっち・・
はずかしいのかな・・・あっ、来た来た、もうち
ょつと傍においで・・おー来てくれた」
と魚たちに声をかけ
「つばめさんも来てくれたの・・・燕返しを見せて
ちょうだい・・・はい、そうそう、じょうずじょ
うず、ありがとう」
と鳥たちに声をかける。実際に魚が寄ってくるは
燕が目の前まで飛んできて宙返りをして見せるは。
この小さな島で、自然界に生きるもの達と対話し
ながら暮らすという素敵な生き方もあるものだ。
海の丘の上に建つ東屋で、潮風を心地良く受けな
がら、2時間ほど色んな話を聞いた。
最初に神様に出会った時の話や、人の顔を見ると
数字が浮かんできてしまう話、三度死にかけたが奇
跡的に生き返った話、とにかく色んなことが次々と
起きる波乱万丈な人生だ。
体を触って診てもらったら
「食べ過ぎることないですか」
と言われる。霊が憑きやすいので、満足に食べられ
ずに死んだ者がとり付いて貴方の体を借りて食べ物
を取ろうとするんですよ。お塩を何時も持って歩く
のと、塩水でうがいするようにしてみて下さい。と
助言してくれた。
再び、島を巡る。
小さな島のいたる所に聖域がある。祈りの場所と
言われても、社や鳥居があるわけではない。小さな
空間に石が置いてあるだけといった、よそ者がみて
もそれと分からないだろう。
この島の最も崇められている御獄は、人間の立ち
入りが禁じられている。入り口には立ち入り禁止の
立て札はあるのだが、無視して入る観光客もいる。
そうすると、どうなるか。
「変わってしまうんです」
と「ノロ」さんが言う。
その聖地から出た途端、帰り道がわからなくなり
同じ道を何度も行ったり来たりしているところを、
村人が助けたというのは、今までにいくらでもある
事で、怖いのは、神様達が会議を開いている最中に
入り込んでしまった場合だ。
ある女性観光客が、その時に入ってしまった。出
て来た途端、突然、全裸になって歩き始めた。その
女性は、大学院まで出ている才女だという。彼女は
その後、自分の口や肛門から出てくるものを食べて
しまうという行動を繰り返し、今現在も、精神病棟
に隔離されているという。
まさに、さわらぬ神に祟りなし、である。
「ノロ」さんのこの言葉が印象的だった。
・・・・久高島の神様は、きびしい神様です。

俺はそれ以来、塩を持ち歩いている。
Date: 2009/08/03(月)


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