「春・うららうららと考える」

 ある朝、ベッドで寝起きの煙草を一服して、さて
朝飯のうどんを作ろうと階下に下りていくと、居間
のいつもの机でいつものように本を読んでいた妻が
「これ読んでみて」
 と、一冊の本を差し出した。
「信じられない、本当なのかしらって思うわよ」
 ページをぱらぱらめくると、一食分の食卓の写真
がずらりと掲載されている。
「結構ショック受けるわよ」
 ページの左側に写真が並び右側に説明文などが書
いてある。
 例えば、あるページでは上から朝・昼・晩と3枚の
写真が載っていて、右にはこう書いてある。
      (主婦36歳・夫36歳・長女9歳・
      長男3歳)
     「朝」主婦と長女・長男は冷凍たこ焼き
      と麦茶。夫は昨夜飲み過ぎで朝飯抜き。
     「昼」主婦と長女・長男はハンバーガー
      店でダブルバーガーセットやハッピー
      セット。夫は筋子と納豆でご飯。
     「夜」家族全員、やきそば、ふりかけご
      飯。

     <事前アンケート>
     「八宝菜や具沢山味噌汁など野菜を使う
     料理が自慢。私は冷凍食品も使わず手作
     りを心がけている」。

     1,矛盾を問われ「野菜は食べた方がいい
     けど、野菜には薬もかかっているし、そ
     れほど栄養も摂れないから、ドライプル
     ーンなどで摂ったほうがいいと思う」。
     2,作る野菜料理を聞かれ「味噌汁に入れ
     る、炒める、サラダしか思い浮かばない
     」。
     3,ストックしてある野菜を聞かれ「野菜
     は高いので、食費が嵩まないよう、腐ら
     せないよう、買い置きしない。その都度
     買う。いつもあるのは冷凍のミックスベ
     ジタブル」。

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      (主婦37歳・夫36歳・長男12歳
      次男9歳・三男9歳)
     「朝」生クリームとジャムのトーストと
      と目玉焼き。飲み物は子供が牛乳、大
     人はアイスコーヒー。
     「昼」ウインナーソーセージ、卵入り納
     豆、キムチ、みやげ物の昆布佃煮。
     「夜」具なしオムライス・キュウリ添え
     、豆腐の味噌汁、牛乳。ヤバイ!今日は
     朝から卵ばっかりだ!と思ったが、野菜
     はウチにキュウリしかなかった」。

     <事前アンケート>
     「食事作りでは、量や品目は決めていな
     いが、できるだけ野菜を多く摂りたいと
     思っている」。

     1,朝飯について聞かれ「子供が小さいか
     ら栄養的なことは考えていない。普通の
     生活をしていればある程度の野菜は摂れ
     ているんだろうと思い、野菜は夕飯の時
     しか考えていない」。
     2,夕飯でも少ないと指摘され「野菜は値
     段の変動があるのでいろいろ買い揃える
     ことはできない。いつもあるのはキュウ
     リだけ。モヤシも冷凍庫に保存したりす
     ることがある。トマトは割高感があって
     買わない」。

 他にも300例近い食卓の写真が掲載されている。
 本のタイトルは
  家族の勝手でしょ!(写真274枚で見る食卓
  の喜劇)
 見ていくうちに愕然とする。朝飯は大皿にスナッ
ク菓子・チョコ入りビスケット・あられ・醤油せん
べい・海老せんべい・ジャンボシュークリームなど
を盛り付けで家族で食べる。インスタントのラーメ
ンやヤキソバ、チャーハン、うどん、蕎麦、パスタ
オムライスに「具」が入っていない。その理由が分
からない。
・インスタントラーメンに具を入れるのは邪道のよ
 うな気がする。
・インスタントのスープやソースに他の食べ物は合
 わないんじゃないですか。
・せっかくの添え付けソースの味が薄まるから。
・野菜をいれるとまずくなる。
・具材を入れると子供がはじき出す。
・中に入れる適当な具材のストックが家にない。
・具材をいれるのが面倒。
 また、味噌汁を作らない家庭が増えている。サラ
ダなども一種類の野菜を刻んで皿に盛って出す。キ
ャベツだけ、キュウリだけ、トマトだけを。色々な
野菜の入った盛り合わせサラダは「あれは外食で食
べるもの」とのたまう主婦。
 信じられないような食卓例が続々と羅列される。
 苦笑して見ているうちに、気持ち悪くなってくる。
腹が立ってくる。その家の子供が可愛そうになっ
てくる。
 まあ、他人の家の事だから・・・と言えばそれまで
だけどね。
 しかしだ。経済的にもこんなに豊かな日本国であ
りながら、こんなに貧しい食生活文化には唖然とし
てしまう。だって、これじゃあバングラディッシュ
の貧しい村の食事よりひどい。
俺が1週間ほど滞在した村の食事を例に上げると
 朝は卵のカレーとごはん。
 昼は魚のカレーとごはん。
 夜は鶏肉のカレーとごはん。
 すべて1食ごとにその都度作る。卵は庭に放し飼
いされた鶏の生みたて卵。魚は、村の前を流れるメ
コン川から獲った魚。鶏はさっきまで庭を駆け回っ
ていたやつ(これは村に始めて泊まった日本人の俺
に対する特別のご馳走だろう)を絞めたもの。米は
村の共同精米杵つき機(木作り)で搗いた米。牛乳
は飼っている牛の絞りたて。
 電気もガスも水道も、トイレすらない村でさえこ
んなに豊かなものを食べ、村の男は無駄な脂肪のな
い鋼のような体で、女はスリムでも胸と腰は美しい
曲線を描いている。(裸で昼寝をしているので、つ
い見てしまった)

 こんな人類として理想的な食事は摂れないとして
も、文明国に生きてるからといって、いくら輸入に
頼らざるをえないからといって、作ったものが
手軽に手に入るからといって、あまりにも手抜きの
食生活でいいんだろうかと。こんな食文化で育つ子
供が、大人になって世界に誇れる日本を背負ってい
けるのかと。そんなもん食ってて、ユニクロを着て
満足している中流下産階級が、ルイヴィトンのバッ
グという上流階級御用達ブランドをぶらさげて街を
歩いていて、恥ずかしくないのか。

 歳とともに自分のことは棚に上げて怒りっぽくな
っているな、どうも。
 日本の食生活は、そんなにひどいのか。
 イギリスの刑務所の食事だって、もっとましだ。
 
 ベストセラー作家のジェフリー・アーチャーが実
際に自分が刑務所に入っていた時に書いた「獄中記
」の中に、囚人の食事が載っていた。それによれば

  昼飯 いずれか1品をチョイス
 月曜日A ヴェジタブルフィンガー
    B フィッシュケーキ トマトソースがけ
    C ビーフやきそば
 火曜日A ラタトゥイユ きのこ添え
    B 魚のトマト煮 バジルソースがけ
    C ラムシチュー
 水曜日A スパイシーヴェジタブルカレー
    B チキンのスパイス焼き
    C ポーク アップルソースがけ
 木曜日A 野菜の甘酢炒め
    B チキンステーキ
    C 酢豚
 金曜日A ヴェジタブルグリル
    B 魚のオーヴン焼き
    C コーニッシュパイ
 土曜日A ヴェジタブルカツレツ
    B ローストチキン
    C なし
 日曜日A 豆のカレー炒め
    B チーズ&フルーツ
    C チーズ&コンビーフ

  夕飯 いずれか1品をチョイス
 月曜日A 野菜春巻き
    B バーベキューチキン
    C ミックスグリル
 火曜日A トマト&オニオンパスタ・オーブン焼
    B スパイシー・ビーフ・リブ
    C ハム&チーズ・パスタ・オーブン焼き
 水曜日A チャーハン&野菜のつけ合わせ
    B 落とし玉子
    C 目玉焼き
 木曜日A ヴェジタブルパイ
    B ローストポーク
    C ローストビーフ
 金曜日A ヴェジタブル・ソーセージロール
    B チキンチャーハン
    C ベイクトソーセージロール
 土曜日A クリーミーヴェジタブルパイ
    B シェパードパイ
    C なし
 日曜日A 野菜のオーブン焼き
    B ローストビーフ プディング添え
    C 詰め物入りローストターキー

 これを部屋から出て、ホットプレートの前に並ん
で受け取るのだ。味はさておき先の日本の朝・昼飯
よりマシだと思わないか。
 ここでちょっと休憩して、自分の朝飯を作る。
 昨日、たけのこ御飯を炊いて余ったたけのこがあ
るので、若竹蕎麦にしよう。
 大鍋に水を入れ、昆布をぶち込み、火を点けてか
ら、鰹節を削る。若芽を戻し、たけのこをスライス
する。ほうれん草を水洗いしておく。原木しいたけ
があったのでそぎ切りに。ねぎの小口切りも用意。
別鍋に湯を沸かす、これは乾麺を茹でるために。沸
騰寸前の昆布を引き上げ、削り節を入れ火を止めて
今日一日分の出汁を取る。蕎麦を湯がき、どんぶり
一杯分の出汁に醤油・みりん・酒で蕎麦の汁を作る。
 と、俺でさえ朝飯の蕎麦一杯にこの程度の手間は
かけるのに。

 「いただきます。・・・・うん、出始めのたけのこ
は、やはり美味いな」

 朝から、そんな面倒なことが出来るかって?
 めんどくさいっていう意識がないからな。当たり
前のことだからね。台本読んでて、セリフ覚えるの
が面倒だなんて思わないでしょう。いいものを作る
、美味いものを作るのに丁寧さは必要でしょう。
 だからといって魯山人には遥か遠く及ばないわけ
ですが。

 魯山人の本にこんな言葉がある。

 良寛は「好まぬものが三つある。歌詠みの歌と書
家の書と料理屋の料理」を挙げている。全くその通
りであって、その通りその通りと、なんべんでも声
を大にしたい。料理人の料理や、書家の書や、画家
の絵に大したもののないことは、我々の日ごろ切実
に感じているところである。いずれもヨソイキの虚
飾そのものであって、真実がないからいかんと言っ
ているに違いない。つまり、作りものは、いけない
というのだ。(中略)家庭料理は、いわば本当の料
理の真心であって、料理屋の料理はこれを美化し形
式化したもので虚飾で騙しているからだ。例えてい
うならば、家庭料理は料理というものにおける真実
の人生であり、料理屋の料理は見掛けだけの芝居だ
ということである。

 こんな言葉を読むと
「成る程、がんばってみようじゃないか、ちゃんと
したものを作るために日々研鑽を重ねなければ」
 と、単純な思考回路で思うわけです。
 料理も役者の役作りも同じだ。じっくり台本を読
み、忘れるほどセリフを覚えこみ、周到にプランを
練ることが大切にして肝心なことなのだ。

 などと息巻いていたら、ごろ寝しながら読んでい
た本に、こんなようなことが書いてあって
 「えっ、いや、だって・・」と、うろたえた。
 イタリアの映画監督フェリーニのインタビューで
構成されている本なのだが。一部を要約すると

 フェリーニは顔を中心に俳優を選ぶ。画面から訴
える顔を選んで、自らメーキャップして、登場人物
を作る。セリフはあとで吹きかえるので、演技の出
来ない俳優に数を数えさせても、その場と関係の無
い個人的な出来事を語らせたりしてもオーケーなの
だ。そしてシナリオを使わない。シナリオのせりふ
を覚えていったり、演技プランをたてて臨んでも、
まったく意味の無いことになってしまう。
 というような演出方法なんです、フェリー二さん
の場合。「甘い生活」「カサノバ」「道」など等。
どれもこれも素晴らしい作品である。出演者のマス
トロヤンニは実に魅力的だ。

 こういうスタイルの映画監督と仕事することにな
ったら、どうするか?

 楽しそうである。そんな現場に立ち会ってみたい
と思う。だが、そのためには・・・
 人生のいろいろな経験を経た顔が必要だろうし、
深い洞察や好奇心があったほうがいいだろう。まあ
何があっても楽しめるために日々研鑽を・・・。

 料理も同じではないかと思う。

   参考文献
 「家族の勝手でしょ!」岩村暢子 新潮社
 「獄中記」ジェフリー・アーチャー 角川書店
 「料理王国」北大路魯山人 文化出版局
 「映画監督という仕事」フェリーニ 筑摩書房
Date: 2010/03/17(水)


8年ぶりのバリ島

滋賀県。琵琶湖を望む山間の古刹、西教寺。
僧が般若心経を唱えている。
後ろの板敷きの大広間に正座して、身じろぎもせずに
聞き入る100名余りの男たち。
その先頭で端座している長保(伊武雅刀)
彼の念頭にあるのは
「足が痛い」「つらい」「寒い」のみ。
「くそっ、この仕事が終わって年が明けたら、何はさて
置いても暖かい国にバケーションに行くぞ」
昨年末、俺は「最後の忠臣蔵」という映画の撮影で京
都に通っていた。

 新たな年が始まり、だからと言って何なんだで今日を
迎える。

 去年は、運勢的には最悪の年で、天中殺、厄年、ほか
諸々良くない年回りではあったが、物凄い不運にも見舞
われず・・・。
 いや、年末まで撮影していた映画の現場は結構きつか
った。尻におできがお出来になって、時代劇ゆえに正座
のシーンが多く、辛かった。
 京都のお寺は半端じゃなく寒いうえに、板の間に直に
正座させられて、痛くてセリフなんかどこかへ飛んでっ
ちまうというひたすら我慢の日々。体育会系とはまるで
縁のなかったことが悔まれる。正座なんていうものには
とんと縁が無いお育ちである。さらに、なんの因果か、
夏頃から坐骨神経痛に見舞われて、座ると右足にずきっ
と痛みが走るようになってしまい、辛いの何の・・・。
 で、おでき。切りに行きましたよ病院に。「暫く通っ
て下さい」と医師に告げられ一週間、断酒して。なんと
か凌いで一年を終えました。

 新年を向かえ、初仕事は、なんと、またしても時代劇
であった。撮影開始は1月の半ばからだ。ほとんどのシ
ーンを茨城県の水戸でロケーションするという。水戸も
かなり寒い土地柄と聞いた。雪の降りしきる桜田門外で
首を刎ねられる役だ。
 こうなったら絶対に南の島に行く。

 2010年1月。インドネシア・バリ島・ウブド。

 誰もいないプールで、ひとりゆったりと泳いでいる。
聖水のプールと名付けられたそこは、かつて密林の中に
造られた王家の所有地だった。周囲には、苔むした石像
が数十体置かれている。横手には滝があり、かなりの水
量が下を流れるアユン川に注がれている。熱帯の樹木、
椰子の木、バナナの木が生い茂り、どこかで鳥が鳴いて
いる。仰向けになってボーっと浮かんでいると、強烈な
日差しが降り注ぎ、冷たい聖水にもぐる。静かに時は流
れていく。
 ヴィラに備え付けられてあるプール。最近はこの手の
作りのホテルが主流らしい。30年前のバリでは、唯一
オベロイ・ホテルにプール付きのヴィラがあり、ストー
ンズや外国のミュージシャン、映画スターに人気があっ
た。その時の俺は、一泊4000円のコテージに泊まっ
ていて、あの頃のオベロイは別格だった。それはともか
く、部屋にプールがあると,あれが出来るから嬉しい。
すっ裸で泳ぐ。これが気持ちいいんだ。日差しを浴びて
プールの縁に立って本を読み、絞りたてのオレンジジュ
ースに持参のウォッカをたらして飲む。蝶が飛んでいる
。りすが木を伝っている。時は止まっている。
 夜。テラスのデッキ・チェアーに横になり、ビンタン
ビールを飲みながらまどろむ。聞こえるのは川のせせら
ぎだけだ。塗り壁や萱ぶきの天井にヤモリが這っている
のがご愛嬌だ。あっホタルが・・・。アユン渓谷の密林
は漆黒の闇に包まれている。

 8年ぶりのバリ島だった。海外のなかで一番多く訪れ
ている国であり、それだけに懐かしく、わくわくしなが
らJALに乗り、デンパサール空港に降り立ったのだ。
 
 まず始めに感じたのは、匂いが消えたことだ。かつて
は、空港に降り立つと、香やバリの煙草ガラームの甘い
独特の香りが漂っていて「これだよ、この匂いがたまら
ないんだよな」と感激したもんだ。
 空港自体も簡素な建物で、簡単なスナックが食べられ
る小規模なレストラン、その脇に8畳ほどの土産物屋が
あるだけの寂れたものだったのに。

 これが、あのバリか・・・。

 ショップの数も半端じゃなく増えていて驚いた。サン
セット・ビーチのあるクタの喧騒ぶりは凄い、こんな所
に近づきたくないほどの人と車の群れ。30年ほど前に
初めてバリに来て、2週間程滞在したクタの町で日本人
に出会ったのは4人だけ、レストランもそれほど数はな
く、ほとんどが華僑がやっている店で、毎日いずれかの
店でヤキメシ(ナシゴレン)かヤキソバ(ミゴレン)を
食べ、たまにオーストラリア人がたむろする西洋料理を
出す不味い店を覗く、といった状況だった。記憶に残っ
ているのは「ポピーズ」というレストランのカレーぐら
いか。そして、日が落ちかかるとビーチに向かい、沈む
夕日を、毎日、飽きることなく眺めていた、、。
 その素朴さが気に入り、バリヒンズーというインドネ
シアの中にあって独特な宗教を持つ島の人々の生活や踊
りに魅せられて、毎年のように通っていたバリ島。日本
からの観光客は、かつてはサヌール地区やヌサドゥワ地
区に追いやられていたが、クタに流れ込むようになり、
そうなると欧米人はレギャン地区に集まり、レギャンが
猥雑に栄えると、スミニャックに静けさをもとめて移動
して、いまやクロボカン地区に新しいホテルやレストラ
ンが建ち始めている。それが、今や・・・。
 離れたエリアに孤高の如くぽつんと存在していたオベ
ロイ・ホテルの周辺も夥しい数の店舗が出来ていた。
 今回は、まず海側に泊まろうと、クロボカンにある
「S]のヴィラを取ったのだが、そこから歩いて10分
ほどのオベロイ通りには新しいレストランがずらりと並
び、どの店も毎晩ほとんど満員の繁盛ぶりであった。ほ
とんどがオーストラリア人を中心とした白人達だが、イ
タリアン、フレンチ、評判のギリシャ料理店と軒を並べ
ていて、その中に何軒か日本料理店もあった。
 
 久し振りに来たバリのあまりの変わりように驚いた。
が、来ちゃったんだから。

 「S]ホテル。シーサイドヴィラ・107号室。
 
 バリの人々は、山には神がいる、海には魔物がいると
いう。とは言うものの、ぼんやり海を眺めているのは気
持ちがいいもんだ。
 前日の夜中近くに着いたので、真っ暗で周りの景色が
まるで分からなかったが、朝起きて、壁に囲まれたヴィ
ラの片隅に設えてある東屋の椅子に座ると、目の前に海
が広がっていた。海側から見ると、壁の上に首から上だ
けが見える設計だ。
 テーブルの上には、目覚めのコーヒーと持参した文庫
本が数冊。朝、7時。気温27度。時間を確認しようと
起きて部屋のテレビを点けたら、日本のNHKのニュー
スが放送されていて「東北地方は猛烈な寒波に見舞われ
ています」「東京の最高気温は6度」「各地のスキー場
は嬉しい悲鳴を上げています」などというコメントを報
道しているのを聞きながら、Tシャツと短パンに着替え
て部屋を出たのだ。
 1日で20度近くも温度差がある場所に移動したこと
になる。こんな格好でいても寒くない。むしろ、潮風が
心地良い。俺も嬉しい悲鳴を上げている。
 ヴィラの前には芝生が広がり、大きなプールに朝の光
が差し込んでいる。その奥に、海に向かって横一線に白
いパラソルとデッキ・チェアーが並んでいる。時間の早
いせいか人影はない。右手にオープンテラス付きのレス
トランがあり、従業員の働く姿が見える。
「あら、ここにいたの。おはよう。・・・いいじゃな
い、ここ、海も見えるし・・朝ごはん食べたの」
 妻のご登場だ。
「いや、コーヒーだけ。久し振りのバリコーヒー、懐か
 しいだろう」
「本当ね・・・あらっ、さっそくバリ煙草吸ってる。い
 いじゃない、このホテル。昨日は暗くて何にも見えな
 かったけど・・・やっぱり海はいいわね。でも焼けそ
 う。私向きじゃない、このスペース、屋根が付いてる
 し、でも向こうから見えない」
「顔だけだよ。さっき煙草買いに行くついでにこの辺を
 ブラブラして来たら、なんとすぐ隣りが前に泊まった
 ことがあるレギャン・ホテルだった」
「えっ、そうなの。だって空き地だったじゃない」
「で反対側に、夕日タイムには予約入れなきゃ入れない
 という、イタリアンレストランが、ルッチオーラとか
 いう、あそこはいまだに健在らしい」
「じゃ、オベロイも近いのね」
「海辺を歩いていけば10分もかからないと思うよ」
「オベロイに泊まったのが何年前よ。昨日、車からちら
 っと見たけど随分お店が増えてたわよね」
「この辺りは一面畑だった」
「そうだったわね・・・あなた御飯食べに行かないの」
「まだ大丈夫だけど・・・あそこに見えるだろう。朝は
 あそこで食べられるみたいだよ」
「そう・・・海の前の席が気持ちよさそうね。私、フルー
 ツだけ食べに行こうかな、お紅茶と・・・その前にお
 風呂入れてシャンプーするから、待っててくれる」
「じゃ、俺はプールでひと泳ぎするか」
「浴槽が大きいのよ、あんなに大きくしなくてもいいの
 にね、お湯がたまるのに時間かかりそう・・・じや、
 あとでね・・・」
 
 こうして1日目の朝を迎えた。

この海沿いのホテルには3泊したが、夕食を食べに外に
出る以外は、プールで泳ぎ、ヴィラの敷地内の部屋の脇
にある天蓋付きのキングサイズ・オープンベッドに寝転
がって、本を読んだり、昼寝をしたり。妻は、東屋で日
がな一日読書に耽り、そこに姿が見えない時は部屋のべ
ッドで冷房を点けて惰眠に耽っていた。
 あまり外に出る気にならないのだ。昔のように外に出
れば、田園風景が広がり、農作業に勢を出す島民の姿や
薄茶色の牛たちがそこかしこにいて、のんびり散歩しな
がら南国の熱く清らかな空気を胸一杯に吸い込む、とい
うささやかな贅沢は望めず、ひっきりなしに通る車やバ
イクの排気ガスでうんざりしてしまう。
 昔は良かった。
 コテージで鶏の泣き声で目を覚ます。顔を洗い、食堂
でバリコーヒーを飲み、パパイヤとバナナのスライスを
摘み、シナモン・トーストを齧り、腰布を巻いて、海ま
でぶらぶら歩く。朝のビーチには、島の子供たちが走り
まわり、犬が駆け回り、馬まで走っていたりする。砂の
上に腰布を敷いて海を眺めていると
「アナタ、マッサージ」
 と声が掛かる。海辺のマッサージおばさん達だ。値段
交渉が成立して(当時は確か日本円で200円ほどか)
茣蓙の上に寝そべると、オイルを塗りながら全身マッサ
ージが始まる。うまいお婆は優れた技巧で実に心地がい
い。そのまま海に浸かり、潮風を受けながら日光浴。太
陽が真上になる頃に腹が減り、町の方へゆっくり歩き出
す。町の中心、ベモ・コナーまで15分ほど。掲示板を
チェックする。「今日は***寺院でバロンダンスがあ
るのか」日差しが強い。汗が噴き出す。まずはビールと
何軒かあるレストランの中から一軒選んで席に着く。鶏
の半身を揚げたものとビンタン・ビールを注文。ブロイ
ラーではない放し飼いの鶏は旨い。骨の周りまでしゃぶ
り、ぬるいビールに氷をぶち込んでグビグビ呑む。仕上
げにミゴレン(やきそば)を腹におさめ、コテージに帰
り、マンデイ(バリはお湯の風呂に入る習慣はなく、ほ
とんどのホテルが水風呂だった)で汗を流し、窓を開け
放って風を受けながら昼寝する。夕方が近づく頃、再び
海に向かい、砂の上に寝転んで夕日が沈むのを漫然と眺
め、あたりがすっかり暗くなると、月明かりをたよりに
町の一角にあるナイト・マーケットをめざし、果物を買
ったり、屋台で魚のすり身を丸めたものがはいった麺を
食べたり、島の人たちにまじって映画館でカンフー映画
を見たり、オーストラリアの皮ジャンバイク野郎どもが
屯するバーでウオッカ・トニックを飲んだり・・・・。
 若いというのもあったろうが、何日いても退屈するど
ころか、このまま此処で生きるのも悪くないと思ったり
もした。
 しかしこれだけ素朴さが失われ、島中に漂っていた香
りも失われてしまったら・・・・。
 でも、山の中の町、ウブドにはまだ、かつてのバリが
残っているのではないだろうか。

 バリ 4日目 ウブドに移動。
 「R]ホテル ヒーリング・ヴィラ 128号室

 ウブドの中心。王宮から車で15分ほど離れた、アユ
ン渓谷沿いにあるホテル。街道から入って正面玄関まで
私有地を1キロ以上走らなければ辿り着かない。ロビー
の奥にあるダイニングからの眺めは絶景だ。遥か下にア
ユン川が流れ、正面には熱帯樹林の密林が立ちはだかっ
ている。我々が4泊するヒーリング・ヴィラは、アユン
川のすぐ傍にある。どうやって降りるんだ、まさか歩い
て。驚いた事に、下までエレベーターを2回乗り継いで
降りるのである。こんなホテルが出来てしまったのであ
る。アユン川を見下ろすホテルには何ヶ所か泊まった。
川では、島の人々が洗濯をしたり沐浴をしていた。美し
い川は、島の人の生活の場だったのに。今、その島民の
姿は見られない。観光化が貪欲に進んでいる。

 そして、4日間。最初に書いたような優雅な時を過ご
したのである。

 ただし、このような隠れ家のようなヴィラで篭ってい
ても、人間腹は減る。そしてホテルの食事は、世界中共
通して高いし不味い。
 始めは、ウブドまで1時間毎に出ているシャトル・バ
スを利用したが、プリルキサン美術館がバス停になって
いて、目的地が離れていると戻るのがしんどい。で、タ
クシーをとなるが、ウブドにはまだメーター・タクシー
がない。その都度交渉しなければならない。幸いな事に
2度目にシャトル・バスでウブドに行った帰りに、良い
タクシーに出会えた。レストランで昼飯を食べ終わって
表通りに出て、さあどうするかと立ち止まっていると
「アナタ、ドコイク、タクシー・・・」
 と声をかけられた。昼の日差しは強いし、ホテルに戻
って聖水プールでひと泳ぎしたかった。さて、いくらふ
っかけてくるか。昨日タクシーを拾った場所より距離的
にはホテルまで近い。
「R・ホテル、ハウマッチ」
「アナタ、イクラ」
 その言葉に、俺は無視して行こうとする。
「$$$$ルピー、ヤスイデス」
 俺は目を剥いて、信じられないという顔を作り
「ツーエキスペンシブ、ラストナイト、モンキーフォレ
 スト・エリアからゴーイングホテルで****ルピー
 だぜ・・・」
 と言い放って歩き出す。
「オーケー、オナジデイデス、****ルピー」
 妻を見ると、日に焼けるから早く決めてという顔だ。
 俺はドライバーに渋い声で言う。
「オッケー、レッツゴー」
 タクシーに乗り込みホテルへ向かう。
「ワタシ、ナマエハ、ダルマデス」
「ダルマ・・・へー、いい名前じゃない、ナイス・ネー
 ム。バリブッダ・レストランから出てきてダルマか」
「ほんとね、ごろがいいわね」
 よく見ると、こんな顔の中年男が日本にもいるな、と
いうような眼鏡をかけた人懐っこそうな顔つきである。
日本語も片言だが、なんとか通じる。道々聞いてわかっ
たのは、ドライバー歴8年で、子供が3人いて、生まれ
は隣のマスという村であるという事だ。
「マス・・・木彫りの村だよね」
「ソーデス、オカアサン、オトウト、キボリヤリマス。
 ワタシ、タクシー・・・キボリハ、オカネナラナイ」
「昔は観光バスが必ず寄ったんだよな、木彫りのマスと
 銀細工のチェルック村に」
「アナタ、ヨクシッテル、デモ、イマ観光客カワナイ」
 ウブドにも大きな変化があった。ベモ・コーナーから
モンキー・フォレストまで通りの両側にびっしりと店が
並んでいて、海沿いの町と同じく一方通行路になってい
た。特に目に付くのが「スパ」の看板だ。こんなものは
1軒もなかった。ライス・テラスののどかな村・ウブド
の面影が失われつつあった。
 俺は、ふと思いついて、ダルマに言った。
「夜、ホテル迎えにくる、レストラン2時間待つ、ホテ
 ル戻る、####ルピー、OK」
「モチロンデス、アナタ、ラクデス、ワタシ、オカネモ
 ラウ、コドモ、ガッコウイケマス」
 その時から帰る日まで、ダルマ君は我々のお抱え運転
手となった。何時にホテルに来て欲しい、ここで食事す
るから1時間位したら待っていてくれ、この店で布を見
たいから止めてくれる、果物売ってる市場に連れてって
欲しい、今かかってるテープなんていう曲だ、これ買い
たいけどどこかで手にはいらないかな、などなど。いろ
んな話も聞いた。一番辛い話は、例のテロ爆発があった
年は、一年間観光客がゼロだったことだ。そして日本人
ツアー客はあまりタクシーは使わないし、外国人は雨が
降ろうと歩き回る。4日目の昼飯を食べ終わって戻る車
中で
「今夜、日本に帰るんだ」
 と言うと
「コンヤ、シラナカッタ、カナシイネ、ソーデスカ・・」
 としんみりした顔で言われて、思わず
「また来るよ、バリ・ブッダの前に行けば居るだろう」
 と言ってしまった。ダルマ・・・性格がいい奴だった。

 久し振りのバリ。
静かに、のんびりと、時を過ごせた。
だが、何かが物足りない。
妖しい気配が無くなってしまった。
スパなるものも海のホテルで受けてみたが、マッサー
ジのあとに泥のようなものを塗りたくられ、冷房のきき
過ぎた部屋で肌寒いのを我慢して、早く終わる事を祈っ
ただけであった。ビーチのマッサージ婆さんたちが懐か
しい。
 まあ、いいホテルに泊まって何もしないで過ごすのな
ら、素敵な島であるのは間違いない。
 時おり見かけた、供え物を置いて祈る優雅なしぐさに
ほっとして、このような習慣がなくならない限り、バリ
はやはり神々の島なのだ。
 もうひとつ変っていないものがあった。
ダルマ君に連れて行かれたミュージック・ショップで
買った「SABILULUNGAN」というCDの値段
が、60000ルピー。その隣りに置いてあったCDの
ジャケットに見覚えがあり、我が家に帰ってそのCDを
探し出した。貼り付けられた値段札に印刷されていた文
字。

「26・12・98」Rp60,000
Date: 2010/01/28(木)


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